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いしいたけしのブログ

物乞いをかわいそうと思ったらいけないのか。

投稿日:2018年11月29日 更新日:

フィリピンの地方都市Dagupanに住んでいます。
いしいたけし@kuya_takeshiです。

フィリピンに住んでいるとマニラだけではなく、

僕が住んでいるような地方都市でも物乞いや路上で生活している家族を見かけます。

フィリピンにはじめて来てからもう13年が過ぎましたが、

こういう状況に出くわすと心がとても痛みます。

最初の頃より衝撃はないですが、一生慣れることもないんだろうなと思います。

どうにかしたいという心理

僕は前職のNGOの仕事で大学生を中心としたボランティアの受け入れをしてきました。

その中の多くの学生たちがフィリピンの貧困の現状を目の当たりにしたいとき

「かわいそう。助けたい。」

「どうにかできないのか?」

という感情をいだきます。

これは学生だけじゃありません。ある程度歳を重ねた社会人も同じです。

そのあまりに厳しい現実に誰もが心を痛めます。

「かわいそう」は上から目線か?

ちょっと話が飛びますが…

人間の祖先であるホモ・サピエンスは老化して歯が抜け落ちてしまった仲間に咀嚼した肉を食べさせてあげていたそうです。

NHKスペシャルの人類誕生という番組でやっていました。

ここからホモ・サピエンスにはいたわりの心や思いやりがあったと考えられているそうです。

180万年も前から私達の中にそういった心が備わっていた可能性があるんだなとなんだか感激しました。

話を戻して…

「かわいそう」という思いは「上から目線だ」という意見は良く聞きます。

でも「上から目線だ。」という方が上から目線のマウンティングなんじゃないかと思います。

「かわいそう」と思うそのいたわりの心は人間としてごく自然なことで素直な感情なんだと思います。

「かわいそう」を押し殺す

ただ「かわいそうだな。」と言って終わってしまってはあまり意味がないと思います。

さらに、その思いを押し殺して無かったことにしてまうのはもっと意味がないことだと思います。

「あの子たちは国がどうにかするだろう。」

「彼らは彼らでどうにか生活してるんだろう。」

と思い込んでその事実を自分の中から消してしまおうと人がいると思います。

「物乞いの裏には元締めのヤクザがいる。だからなにもしない方が良い。」

と理論武装を振りかざしてそれで目の前の現実を片付けてしまう人もいると思います。

もちろんそういう現実もあるのは確かです。

ただ僕は

「その目の前の物乞いの子を調査してそれ確かめたの!?」

と思います。

そうやって真実を確かめずに自分の心にある思いを押し殺してしまっていないでしょうか。

つらい現実をありのまま受け入れることは心が痛みます。

ただ多くの人間がその思いを押し殺してしまったら社会から思いやりが消えてしまうのではないかと僕は思います。

「かわいそう」と思ったら手を差し伸べる

「かわいそう。助けたい。」と思ったら手を差し伸べれば良いと僕は思います。

それをフィリピンの人たちから学びました。

見栄や他者にどう思われるかという感情からではなく、純粋な思いからであればお金をあげたければあげても良いんじゃないか。

そう思います。

大事なのは

いたわりの感情は失わないこと

その心に従って行動すること

フィリピンの人たちから教えてもらいました







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